らぶさんの「コメントありがとう」がどうして気持ちイイのかを真面目に考えてみる。
らぶさんという方がいる。コメントに対する返事で「コメントありがとう」と返しているのを見て、ああ、いい言葉だな、と思った。というか、ぶっちゃけ、おれに対して言われたらどんなにか気分いいだろう、と思っていた。で、ずーっとコメントできるような記事を待っていたわけだけど、実際に言われてみてすごい気持ち良かった。ただ、素直に気持ちイイと思うだけでは、文芸批評家を目指していたおれの沽券にもかかわる。ということで、今日は柄谷行人風に分析してみる。
彼女の標語として「無駄にエロい」だとか「バカだけど可愛い」等といわれることがある*1。しかし、このエントリの命題はあくまで「コメントありがとう」がどうして気持ちいいのかの分析である。あくまでも我々は表層としてのテクスト、つまり彼女が書き残したものから分析しなくてはならない。
では、「コメントありがとう」の魅力はなんなのだろうか。まずはテクストを分解してみよう。
- コメントありがとうは、コメントレスに対して使われる。
- コメントありがとうは、常連者に対しては使われないことがある。
- コメントありがとうは、文脈に関係なく使われる。
- ブログを書いているものには、その文脈に添ったコメントレスにともなって、「コメントありがとう」が使用される。
ということを挙げておこう。
彼女はこう言う。
相談に乗ってもらったら 「ありがとう。あなたのおかげで助かった」 とか
「その一言で元気が出たよ」 と感謝の気持ちを伝えましょう。ここで肝心な一番のポイントは、相談することではなく、
相談に乗ってもらう相手に好意を示すことです。
期待した答えじゃなかったとしても怒ってはいけませんよ。
つまり、ブログを訪問してくれた人に対する感謝の気持ちとして「コメントありがとう」は機能している。ここで、「文脈に関係なく使われる」ことに注意しなくてはならない。おそらく、彼女は自分のブログに対して付けられるコメントに対して、100%、ありがとうとは思ってはいないはずだ。しかし、「コメントありがとう」と記載することによって無用な衝突を回避することができる。
また、「ブログを書いているものには、その文脈に添えたコメントありがとうにともなってコメントレスが行われる。」との対比に注意する必要がある。つまりは、その人に沿ったメッセージ+紋切り型のメッセージを使うことによって、ブログに独特のリズムが発生するのである。
そのリズムが私に快感をもたらすものなのかもしれない。
というか、ぶっちゃけ、
テクスト=文章だけに引かれて見に行くブログは少ないわけっすよ。らぶさんを除いたら、たびたび取り上げているFACTAの編集長ブログくらい、かなぁ。