命の価値
なんて大層なタイトルを付けたのだけれど、客寄せのご愛嬌ってことで。
さくらちゃんと、途上国の子供の命の値段を読んで。
視点として、一人の命の価値は人それぞれ違うってことを言っておきたいと思う。俺としては大体こんなもんじゃないだろうか?と。
動物(ペット含む)<途上国の人たち<先進国の人たち<日本人<知り合い<身内<自分の子供*1<自分
じゃないかと。これの順序付けが違う人とは当然衝突がおきる。まあ、さすがに、
途上国の子供たち=さくらちゃん
なんて思ってる人はいないでしょうが。
けれども、学校では『人一人の命はそれぞれかけがえの無いものです。』って教えてる。だからこういう齟齬がおきるんじゃないのかな。
昔、どっかのバンドで「乗客に日本人はいませんでした」なんてのを歌詞に入れ込んだ曲があったと思うけど*2個人の倫理観と、実際の価値観の矛盾がむずがゆく渦巻いているのは事実なわけで。
女性は特に、『子を産む性』としての感情があると思うので、子供の有無に関わらず、こういう話題に関してはいつも理性的な判断をされる方でも、時に感情に走る嫌いがあると思う。
結論めいたものは無いけど、あえて言うなら「どっちもそれぞれの倫理観、価値観に基づいて正しい」ってことでしょうか。少なくとも俺にとっては自分の命の価値が一番高い。そっからの議論じゃないでしょうか?
子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。
桜桃が出た。
私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓(つる)を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚(さんご)の首飾りのように見えるだろう。
しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐(は)き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。
太宰治の桜桃より引用
まあ、そういう人もいるってこと。