Googleは「神の見えざる手」たりうるか?

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 FACTAの編集長ブログは相変わらず、熱い。彼の膨大な知識を前にしては、緻密な論理構成でないととても太刀打ちできないだろう。笑止されることを承知でトラックバックをうってみよう。
 で、彼の文章の中で唯一付け入る隙があるとすれば、その主題そのものだろう。ハイエクになぞらえて彼が論じようとしているのは、「市場経済システムとWebネットワークのアナロジー」だ。論駁しやすいところから引用しようか。

ハイエクのいう知識は、価格、数量、期待といった経済モデルの要素よりはるかに広く、生活に必要なあらゆる実際的なトリヴィア(豆知識)から、暗黙の行動ルールや伝統的慣習、さらにゲームの規則まで含む。しかし、社会経済システムに内在する知識の総体は、ひとつの場所に集めることは不可能だし、また単一の主体が知りうるものでもない。世界最大の検索エンジンであるグーグルもその例に漏れないのは、市場がそういう全知全能のトポスたりえないのとまったく同じである。

 これは、おかしい。梅田望夫氏の著書を読んでいれば、Googleの「知の再編成」の行為の主体はあくまで、コンピュータ・システムであることがわかるはずである。人間のネットワークであれば、「情報を全て所有すること」が不可能なことは誰にでもわかる論理である。また、パソコン1台でそんなことができうるべくでもない。しかし、もし、そのコンピュータが、無視できるほど無限に小さいコストで運用できたら?もし、そのコンピュータはネットワークでつながれており、簡単にスケーリングできうる設計になっていたとしたら?ここでその可能性は推論しても仕方がない。近いうちにGoogleがそれができるのかどうかを証明するだろう。
 また、Google の秘密 - PageRank 徹底解説でも触れられているように、あくまでもGoogleSEO対策をアルゴリズムで解決しようとしている。もちろんこれも今だ不完全であるに違いない。しかし5年前のインターネットと今との違いを考えるに*1実現は不可能ではないと思う。

藤田社長の3月29日のブログは、大阪で行った社員採用面接の話で、一見平静を装っているかに見えるが、伊丹空港から帰京する際の言葉が、この村八分で消耗したことをうかがわせるのだ。
疲れた。

今日はもう誰とも会いたくなく、誰とも話したくありませんでした。

一人になりたい。

そんな日があるとすると、こんな日なのかも知れません。

 なぜGoogleが検索対象から外してしまうだけで企業が右往左往してしまうのか、それはもはや、Googleが「神の見えざる手」と化し始めているからではないのか?もちろん、梅田氏はその危険性に気づいていながらそれを指摘していないのは確かだ。すでにGoogle主導でゲームは始まっている。オプティミズムに立たなければ、また次代の旗手を日本に期待しなければ、どうしてあの本が書けたろう。

*1:ブログ検索エンジンGoogleだと思って使ってみれば、5年前の不自由さを用意に思い出すことができる。