リアルな世界では人の気持ちを考えながらレビューしなくてはいけない。

 「人の気持ちを考えろ」とか「人の気持ちを考えない人」という言葉は、
 〈人間は自分の考え間違いやミスを指摘されると不愉快な気持ちになる〉
 ということを前提にしていることが多いようだ。

 まったくもってその通り。その通りだが、この感情を抱くのは指摘する人ではなく、指摘される人のほうである。柄谷行人は、「教える=学ぶ」ことの非対称性について『探求Ⅰ』で言及していたが、指摘する人/指摘される人もまた、対称ではない。
 ネット上の世界では、「あなたはモヒカン族ではなくって、ただの仲良しこよしさんなのね。ふ〜ん」で済むことでも、リアルな世界では、レビューを行う場合、そしてそのことによって問題を指摘する場合には、「ソースコードを1行でもいいからまともなコードにする」ために、粉骨砕身しなくちゃいけない。


 この辺のこと、日本と西欧の文化的な背景の違い、について誰か述べていたような気がするなぁ*1
 しかし、私個人の考えとしてはネット上のモヒカン族とやらがいずれ淘汰されていく存在だとは思わない。ただ、淘汰されていくにしろ、根付いていくにしろ、『モヒカン族』という言葉はいずれ淘汰されていくだろう。相手の批判を素直に受け止められるようなパーソナリティを少なくともネット上では確保することができれば、ハンドアックスを振り回す必要もなくなるのだから。『モヒカン族』というグループ自体が一種のムラ社会の一つであるという逆説を免れ得ないことも理由の一つに加えることができよう。


 けれども、明日からの現実の仕事に戻ったら、ムラ社会の中で、「どうやって、相手を傷つけずに、レビューをするか?」「どうやって、プログラマの機嫌を損ねないように不具合の報告を行うか」ってことに腐心しなければいけない。これは当分変わっていかないのだろうなぁ。

*1:今さら、古めかしい議論であることは否めないけれども