ネットワークの知識と文章力は違うということ。

 なんか、最近、ブログがメディアを越えるだとか、ネットが
メディアを席捲してしまうだとか、物騒な話が多い。
ところで、そこで結構重要な視点が欠けていると思う。
 そう、ネットワークリテラシーと呼ばれるものと、
思いを相手に伝える能力、昔気質な言い方で言うなら
「文章力」は別物である、ということである。
 筒井康隆の「朝のガスパール」という小説は、
当時*1としては画期的な、ネットを通じて、次回の筋を
読者に決定してもらう、という新聞小説だった。
 それはともかく、それの副読本のような形で
電脳筒井線」というような本が何冊か出ているのだが、
そこでは、小説と並行して解説されていたBBSのログが
載せられているのだが、そこの投稿者に共通して見られた意識に、
「ネットワークに詳しいものは、その他の人々よりも知的水準が高い」
というような鼻持ちならない傲慢さがあったと思う。
 結局、その傲慢さが元で、小説が破綻してしまうのだが、
考えても見て欲しい。
 いくら、効果的なスタイルシートの組み方を知っていたって
いくら、効果的なトラックバックの打ち方を知っていたって、
いい文章が書けるかどうかとは別物である、ということである。
 結局、FACTAの編集長ブログみたいな文章は
凡百の俺らには逆立ちしたって勝てないわけであって、
事実を事実として伝える以前に、読ませる文章を書けないと
ブログがメディアに勝てるわけが無い。
 僕は草の根BBSの時代から続く、「みかか」に始まる、
最近なら「wktk」とかか。そういう隠語が大嫌いだ。
それこそが、ネットワークの閉鎖性と隠微な傲慢の表出であり、
ブログがメディアに勝てない証拠だ。
 もちろん、その中でも、いまや、小さなメディアと言っても差し支えない
ブログがあることも承知している。文章力が卓越している人のブログも知っている。
けれども、それはまだごくわずか少数であり、大半のブログは僕と同じような
独り言、戯言の放言か、身内同士での近況報告でしかあるまい。


なんか気負って書いた割にはいまいちだな。
たいしたこと書けてねーや。

*1:インターネット普及前