DRMと社会的弱者

 著作権は保護しなければならない。これは当然のことである。
しかし、ほかにも保護されるべき対象があるのではないか?
というのが今日の小噺。
 昔も今もゲームソフトの価格はそう変わらない。
けれども、自分にとって、同じ5000円でもずいぶん価値が変わったと思う。
小学生のころ、ゲームソフトを買うということは一大事だった。
私は子供のころは小遣いをもらったことがないので、そのままでは
ゲームを買うことはできない。
 どうしたかと言うと、母がやっていた内職を手伝って小銭をもらって
ためたのである。詳しい金額は忘れたが、1本のファンデーション用の
ブラシをフィルムケースに入れて30銭かいくらかだったと思う。
それを1本5銭くらいで手伝うわけである。
 5銭のリベートで5000円稼ぐには10万本手伝わないと買えない計算である。
お年玉や、誕生日などのイベントを除けば、せいぜいに年に1,2本程度
しか買うことができなかった。


 昨今のファイル共有ソフトの爆発的なブームは当然非難されてしかるべきだと思う。
しかし、お金の価値が違う立場の人がいることは、少なくとも私は忘れないと思う。
カレンダーに10円単位でたまっていくお金をつけていた。ハイドライド3が
発売、ということになって、やっとたまったお金を握り締めて、毎日のように
和光デンキに通った。MSX2版のハイドライド3は出るのにずいぶん遅れたので
今でもそのころのことは良く覚えている。
 イース2を起動させて、30分もオープニングを繰り返し眺めるような
ことはなくなった。
 違法コピーを擁護するわけでは決してない。しかし、あのころに感じた
ゲームに対する感動や、逆アセンブルの知識が、今の私の一部を形作っているとも、
また思うのだ。